『頑張ること』よりも『力を抜くこと』の方が、実は難しい

ピアノを教える際に(ピアノ講師もやっています)、生徒さんに一番よくいうセリフが、「力を抜いて!」です。

つまり脱力

ピアノを演奏するときに一番難しいのが実はこれなんです。

弾こうとする瞬間に体に力が入ってしまい、キンキンと硬い音しか出ないんです。

耳に心地よい柔らかい音を出したいのであれば、体の力を抜いて手の重みを指で支える。

そうしなければ美しい音は奏でられないのです。

さっきもレッスン中、力任せに弾こうとする生徒さんに「肩の力を抜いて〜」「ガチガチにならないで〜」と何度も声がけしていました。

で、ふと思ったんです。

生きていく上でも、力を抜くって難しいよな〜って。

親に対してはいい子でいよう、学校に行けばいい生徒でいよう、結婚すればいい妻・いい嫁でいよう、子供ができたらいい母でいよう・・・。

そんなこと考えたことないよ、という人もいるでしょうが、ついつい、いい〇〇でいよう、と思っちゃう、という人は結構いるのではないでしょうか。

そして、いい〇〇であろうとするために頑張ってしまう。

頑張るとなると自然に力んでしまう・・・。

で、一番厄介なのが、自ら意識しているつもりはないのにそうしてしまうこと。

私もかつてはそうでした。

でも疲れたからやめました。

いい子でいよう→親に対しては、子供である私が幸せに暮らしていることが親孝行であると、何かしてあげなきゃ、と考えるのをやめました。

いい嫁でいよう→今は義両親は亡くなり嫁は卒業しました。

いい妻でいよう→私が笑って過ごすことが主人にとっては一番いいのだ、と勝手に思うことにしました。なんでも一人で背負わず、できないことは素直にできないと認め、お願いすることにしています。

いい母でいよう→ここに関しては、あまり思ったことがありません。子育ては、大変でしたが、新しい物好きの私にとっては日々が新鮮で楽しかったです。

いい先生でいよう→いい母でいよう、と同じです。これがいい先生、という先生像は私の中にはありません。なのでいい先生でいようという感覚はあったくありません。仕事も気負わず楽しくやっています。

こうでなければいけない、と思うことはほとんど・・いえ、一切ないので、落ち込むとか辛いなど、気持ち的に沈むことはなくなりました。

結局自分がやりたくないことをやろうとするから頑張らなくてはいけない

やりたいと思ったことは頑張らなくても自然にできるんですよね。

例えば、姑が大好きなのであれば、会いにいくのは頑張らなくても自然に足が向く。

お料理が好きなら、頑張らなくてもたくさんのおかずを作ってしまう。

それが苦手なのに、いい嫁や妻をやろうと頑張るから体に力が入って疲れるんです。

あるご相談者様から、お姑さんとソリが合わなくて、おまけにご主人も全く自分を理解していない、これから先一緒にやっていけるかどうか自信がない、とご相談を受けました。

占ってみると、ご相談者様はその場がうまく回るようにと、自分の気持ちを隠してこれまで過ごしていらっしゃったようです。

もちろんこのままで良いはずがありません。

まずはお姑さんに、今のご自身の気持ちを正直にご主人とお姑さんにお話しすることをお伝えしました。

それによって関係性が悪くなるより、どんどん自分にストレスが溜まってしまい、体調を崩される方が心配だったから。

いい嫁でなくてもいいんです。

まずはご自身が解放されて、自然体で過ごすことができるようにすることが大切。

「このままだと、病気になってしまいますよ。いい嫁でいるために頑張る必要はありません。まずはご自信を大切にしていください。」とお話ししました。(※この方にはこうアドバイスさせていただきましたが、すべての方が、そうであるとは限りません。)

そのあと、お姑さんに今までの嫌だったこと、さらには、もうこれからはあまりかかわらないで欲しい、ということを伝えたそうです。

もちろん険悪にはなったそうですが、顔を合わせなくて良くなったことで、ずいぶん気持ちが楽になったそうです。

もちろん全てにおいて頑張る必要がない、と言っているのではありません。

お仕事や勉強など、状況に応じては頑張らなくてはいけない場面もあります。

でも、他人のために頑張る必要はないのです

ピアノと同じ。

いい時間を過ごすには、

力を抜いて〜、楽に楽に〜

なのです。

Take it easy! 気楽に行こう!