春ですね。
新しい生活が始まるこの時期、我が家でも大きく生活が変わりました。
次女が予備校の寮に入ったため、20年以上ぶりの夫婦2人だけの生活が始まりました。
さみしい…というより、ものすごく楽しい毎日を過ごしています!
さて、今回はこの次女の受験にまつわるお話です。
もともと勉強大嫌いの娘ですが、とりあえず大学生活は過ごしたいということで、なんとか受験前にエンジンをかけて勉強はしていたものの、結果間に合わず、前期も後期もどこにも引っかかりませんでした。
勉強が嫌いなくせに行きたくないところに行く気はない、ということで滑り止めは受けていなかったため、大学に行くのであれば浪人せざるを得ないという結果になってしまいました。
共通テストではそこそこの点数が出ていたので、彼女の中では「まあ受かるだろう」という考えだったのですが、この現実を突きつけられて当然ながらかなり落ち込みました。
側から見たら「これじゃあ合格するのは無理だよなぁ…」と思っていましたが、一応彼女なりには頑張っていたわけですから、なぜだめだったんだ!という疑問、悔しさ、悲しさ、そして絶望、色々な感情が込み上げて大泣きしていました。
彼女にとっては初めての挫折です。
そんな彼女を見てかわいそうだな、と思った私ですが、それでもダメだった時のことは考えていたので、彼女の気持ちを確認した上で予備校の手続きをしました。
そうするしかないとわかってはいるものの、すぐには気持ちの切り替えができず、お昼からずっとベッドに潜り込んでいました。
そしてその日の夜、家族で今後のことを話をしたとき、主人が娘にこんなふうに言ったんです。
「お前は勉強がキライじゃろ?俺もな、大嫌いだった。高校時代は全然勉強せんかった。でも浪人して少しできるようになってくると、わかるということが楽しく思えてくるようになってくる。お前はまだそこまで勉強してなかろ?
だからもう少しやってみ。今回合格はできんかったけど、それは失敗ではないで。そこに向かって進んでいく限り失敗にはならんぞ。だから自信を持って頑張ってみ。」
私自信、この結果をどこかで「失敗」と思っていただけに、なんだか目から鱗というか、この結果をとても前向きに考えられるようになりました。
落ち込んでいた次女ですが、もともと切り替えが早い性格も手伝って、「もう一年頑張ってくるわ〜」と一週間後には予備校の寮に入りました。
入寮から三週間目になるのですが、同じ苦い経験をした友達と切磋琢磨し、お弁当まで自分で作って持って行っているとのこと。
環境が変わったのも良かったのでしょう、あれだけ苦痛だった勉強を積極的に取り組んでいるようです。
当初はこんな毎日だったよ、とラインで報告してくれていましたが、今は少しずつ回数が減ってきており、充実した毎日を過ごしているようです。
うまくいかなくても、やり続ければそれは失敗したことにはならない
確かに。
さらに失敗と思わなければ落ち込む必要もない。
結果はダメでも、それに挑む限りそれは単なる通過点に過ぎないんですよね。
そう考えてみると、これまでハードルが高かくてできなかったことも、簡単にトライしてみることができるのではないかと思います。
と、こんな記事を書いていると、玄関でドスンと大きな物音が。
猫の福丸がまた玄関のニッチにあがろうとして失敗した模様。
彼に至っては、何度もこの失敗を経験しているにも関わらず、この挑戦をやめようとはしません。
ニッチに飾っている花をむしゃむしゃしたいから。
欲望の前には彼の中に失敗という2文字はないのでしょうね。
落ちても落ちてもなお果敢にも挑戦し続ける彼を大いに見習おう、と思いました。