他人に対して腹が立つことや呆れること、ありませんか?
「すれ違ったんだから、普通は挨拶するでしょ?」
「なんでいくら注意しても同じことを平気でするかな?」
「みんなでやっているのに、1人だけ何もせずよく平気な顔をしていられるな!」
こちらは本当に腹が立っているのに、当の本人は何事もなかったかのように過ごしている。
そんな人と職場で毎日顔を合わせなくてはならない場合、ストレスはMAX。
できることなら関わりたくないけれど、そういうわけにも行かない。
かと言って、相手に変わってもらうことはまず無理。
でも、このままだとこちら側が病んでしまいそう。
一体どうしたら良いのでしょう?
自分の思った行動をしてくれない時、人は他人を責めてしまいます。
自分の考えは正しい、そう判断しているからこそそう思います。
でもそれはあくまでも自分考えであって、他人にとってはその行動が正しいのか、さらには必要なのかどうかはわかりません。
おそらく、その人にとって必要ではないと思うから挨拶をしない、正しいことと感じていないから何度注意しても同じことをする、みんなと協力することなど自分にとってはどうでもいいことだから知らん顔できるのだと思います。
こちら側はコミュニケーションを円滑に取りたいのに、それができないから腹が立つ。
つまり相手はコミュニケーションを取りたいとは思っていないということなんです。
根本的に考え方が違う相手を自分の思い通りにしようとしても、それは不可能です。
だったらどうしたら良いか。
自分の考え方を変えるしかありません。
この人はこういう人なんだ、と。
さらには、相手を矯正しようとしないこと。
こんな行動をしていたら、もちろん周りとのコミュニケーションはうまく取れるはずありません。
徐々に孤立していくでしょう。
しかし、そうなってしまうのはその人の問題であって自分の問題ではありません。
他人の受け入れられない行動をスルーできるかどうか、そこが自分自身の問題なのです。
何か腹立たしいことがあると、人はその行動を正そうとしてしまいがちです。
正義感が強いと尚更です。
しかし、どんなにエネルギーを使ったところで、相手が変わることは決してありません。
例え自分が感情を使うことをされたとしても、一歩下がって、その状況を俯瞰して見るべきなのです。
…
とはいえ、自分の考え方を変えることも実は簡単ではありません。
そんな時にはアドラーの「嫌われる勇気」を読み返します。
哲人と青年のやりとりの中に、こんな場面があります。
哲人:世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。
青年:なぜです、誰がどう見ても矛盾に満ちた混沌ではありませんか。
哲人:それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものとしているのです。
アドラー「嫌われる勇気」より
そして、
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させない。
こちら側は他者の課題に介入しているから腹が立つ。
相手は自分の課題に他者を介入させていないから何も感じない。
腹を立てるだけ損なのです。
ということで、今日はどんな行動に出てくるのか、一歩引いて観察してみることにしましょう。
ただし、他者の課題に介入することのないようにお気をつけくださいね!